夢のストーリーがドタバタなのは、出演者が雑多だからなのか

平野啓一郎氏は分人という言葉を作った。曰く、個人の中にも様々な顔があり、それらは共にいる人やコミュニティ、環境によって自然に変わる。その総体が個人なのだとか。

夢の舞台設定と登場人物は、脳の記憶の中から勝手に抽出される。だから、学生時代の友人と、職場の上司が同じ場に当たり前のようにいたりする。そして、私も当たり前のように会話を進めていたりする。その場で顔を出している私の分人は、現実に存在しないものであり、無理矢理作り出された、内部に歪を抱えている。目覚めた時に、自分でも不思議に思う夢の中での自分の行動は、その歪に一因があるのではなかろうか。