目を奪われるって言うけれど

オリンピック、パラリンピック、甲子園とスポーツイベントが立て続いている。バスケットボール以外に興味は無いのだが、テレビをつけると自然と関連のニュースが目に飛び込んでくる。

そんな中よく使われているフレーズに"目を奪われるプレー"がある。辞書には「目を盗られて何も見えない意で、あまりの美しさなどに見とれて夢中になること」とある。あること以外に盲目になることを言うようだ。私はずっと、視界をあることに独占されることだと思っていた。何故ならば、慣用句に使われる目は眼球ではなく、視線/視界の意味で使われることが多いからだ。目が離せない、注目や着目などがそうだ。上で使った、"目に飛び込んでくる"も正しくは視界に現れるである。視覚からの情報は視神経を走るただの信号だが、感覚として虫取りシートのような粘着性があるのであろう。

五感の中で視覚と同じく常に情報を受け取るのが聴覚であるが、同じような表現はないように思われる。音は過ぎ去り、選ぶことが難しいからだろう。耳を奪われるという表現はない。耳を奪われた琵琶法師ならいたが。