感情の名前

感情的な人がいたりする。対義語は論理的だ。論理は目に見える。言葉で説明することができるからだ。(体現するのに言葉などの記号が必要なことが論理の特徴でもある。)

一方、感情とはなかなか目に見えない。他者の中にそれらしきものがあるように観察できるが、断定はできない。脳波の波形を見せられても、はぁ、としか言えない。又、自分の感情というものもなかなか分からない。複雑なものである。楽しい、と言葉に出した時、私は楽しさらしきものを感じた自分を客観的に観察し、これは楽しいと言う状態に自分はいるなと判断して、最終的に言葉にしているのである。つねに感覚と観察の結果選ばれた言葉のニュアンスには乖離が生じる。

感情は本来複雑なものである。子どもの感情を大人が理解できないのは、子どもの複雑性を理解できていないからだ。それを、大人が子どもに、「楽しいですか?」などと要らぬ補助線を引きながら会話することで、感情の複雑さを捨てる方向に子どもは育っていくのではないかと考えている。逆に、成熟した大人というものは悲しい時に笑ったり、怒った時に冷静になれたり、複雑さを兼ね備えていることが多いように思われる。

感情を表す単純な言葉は短慮にも思えるが、その一般性が効果的である場面もある。上田正樹の悲しい色やねは傑作である。悲しい気持ちを詳述することなく、大阪の海の色に預けた発想には感嘆させられる。エメラルドブルーの海を見て育った人には書けない歌詞である。